♠3月号 「卒園おめでとうございます」  ♠

2020年03月04日

理事長コラム

2月28日(金)の各紙朝刊一面の見出し「週明けから春休みまで小中高の学校休校」の太い活字が飛び込んできました。私たちにとって突然のことで、驚きでした。
「卒園式はどうする?」、「卒園行事はどうなるの?」
「保護者家庭への連絡はどうする?」「給食の仕込みは?」「預かり保育は?」
と戸惑うことばかりで、半日では的確な判断がとれませんでした。
ご心配をおかけしましたこと心からお詫び申し上げます。そして、特に、卒園していく年長さん、残り少ない幼稚園の生活を楽しみにしていたのに、・・・幼稚園の門を閉じてしまうこと、ごめんなさい。
子どもの健康維持のための目的で幼稚園や学校を休校」にすることは賛成します。しかし、この3月、教育現場に具体的な説明もないままに、突然の総理大臣の要請は、教育の現場に大きな混乱を招いています。3月は、子どもの巣立ちの時期、心の教育にとって重要な時期であることをもっと配慮されるべきでした。
子どもたちにどのように説明したらよいのだろうか?
卒園児とは卒園式まで会えない?
週末の金曜日の朝、県庁、教育委員会、文科省、幼稚園団体、私学団体へ問い合わせるが新聞、テレビ新聞での情報範囲の程度で具体的な判断は検討中・・・・。その後、あちこちの役所から同じような内容の声がとどいています。
「子どもの健康を守るために、学校を休校にしたのならば、なぜ、親の擁護を必要とする幼い子どもが生活する幼稚園の子どもこそ、真っ先に保護されなければならないのではないか」という質問も届いています。「両親が共働き家庭であっても、この緊急事態の期間こそ、家庭への休業補償をして家庭で子どもを擁護することを検討しなかったのでしょうか」という声も聞かれます。
総理は、学校の設置者である自治体の教育委員会の判断に任せました。休日深夜までその対策に追われたと聞いています。台風・地震等の大事な災害対策をさらに充実させるための家庭を軸とした「子ども安全対策法」を制定されることを願っています。
今回の総理が要請した学校休校の実施の主旨は「限られた同じ環境で、多人数の子どもたちが、長時間、至近距離で生活することで、感染が広がることを避けるため、一定期間、学校を閉鎖する」ということです。
したがって、船橋市の教育委員会では公立の小学校の卒業式は30分以内。保護者は各家庭1名の参加という授与式にとどめるそうです。
健伸学院が設置する丸山と行田の両幼稚園は設置者が学校法人ですので、学院常任理事会で討議して教務主任会議では「幼稚園協会、県庁、船橋教育委員会などの方向性を見ながら、子どもたちを感染から守るという国家要請に沿って「国の要請通り週明けから幼稚園は休園」という結論で各家庭にメールを送らせていただきました。一方的な通知で申し訳ありません。
なお、職場との調整がとれない、介護や通院などの事由を配慮して、感染防止の範囲内の時間と人数でお預かりする「さわやか広場」を開設しています。「検温・問診手帳に記入してご利用ください。各ご家庭の責任でご利用下さい。オリンピック開催を含めての安倍総理の決断が良い結果になることを願いながら、政治における責任は結果次第」です。

そんなことを思い浮かべながら山口謡司さんの「ゴンキツネ」を紹介します。
そのあくる日もキツネのゴンは、栗をもって、兵十の家へでかけました。
兵十は物置で縄をあんでいました。
それでゴンは家の裏口から、こっそりと中へ入りました。
その時、兵十は、ふと顔をあげました。
キツネが家の中へ入ったではありませんか。
こないだ うなぎをぬすみやがった あのゴン狐めが、
またいたずらをしにきたな。
「ようし」兵十は、立ち上がって納屋にかけてある火縄銃をとって、火薬を詰めました。
そして足音をしのばせて近寄って、裏口から出ようとしているゴン狐をドーンと、うちました。
ゴンは、バタリと倒れました。
兵十は駆け寄って、家の中を見ると
土間に栗が、固めて置いてあるのが目につきました。
「おや」と兵十は、びっくりして ゴン狐に目をお落しました。
「ゴン、おまえだったのか。いつも栗をくれたのは」
ゴンは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
作者の新美南吉さんが、18歳の時に発表したお話ですが、読むたびに、青い煙が立ち昇る火縄銃を手元に落として、呆然とする兵十の肩を落とす姿と銃で撃たれて弱々しく目を閉じて横たわるゴン狐の姿が動画の様に目に浮かんできます。
一枚の画用紙に描かれた絵のような短いお話ですが、心に長く残る文章ですね。
声を出してお子さんに読み聞かせてみて下さい。最初は、耳元を通りすぎていくだけの印象かもしれません。何回か読み聞かせていくうちに、お話しが広がって、絵が「四コマ漫画」のように動き出してくるでしょう。さらにお母さんとの会話を通してお子さんの心が成長していくにつれて、狐の心や兵十の気持ちが理解できるようになります。さらに、お母さんとの対話が膨らみ、心で読み取る感動が芽生えてくるのだと思います。
子どもは、目で見たものを心(脳)のキャンパスに一枚の写真として写します。その写真に気持ちが注入されると、写真が膨らみ、動き出し、動画となります。その動き出した世界を一枚の画用紙に自分の思いとして、手にしたパステルで自由奔放に描くのでしょう。一枚の画用紙に鉛筆とパステルで描いた世界に、それぞれに「気持ちという色」がついて、心の温かさが表現されるのでしょう。
目ではなく触覚や音声が込められれば、こめられるほど感動もふくらんできます。
このゴン狐のお話しは、正解はありません。それぞれの経験と考え方で解釈の仕方が異なります。銃の引き金を瞬間引いてしまった兵十をゴン狐はきっと許してくれたでしょう。なぜならゴンは兵十がすきだったんでしょうね。
陽が長くなりましたね。節分が過ぎて立春。おひな様の季節を迎えます。子どもたちが元気に降園したホール。今日一日の子どもたちとの生活をたどりながら、ベテランの教諭がピアノに向かいながら「いちねんせいになったら」の曲を口ずさんでいます。
末筆になりますが台風災害、新コロナウイルス感染症対策等のさまざまな試練にもかかわらず、母の会をはじめ役員の皆様、また保護者の方々には温かいご理解とご支援を賜りました。
深く感謝申し上げます。