12月コラム 『子どもの心に 夢が降る』

2014年11月28日

理事長コラム

            子どもの心に 夢が降る

育ち盛りの子どもと生活をしていると、「あっ」という間に時間が走ります。

半袖からセーターへ衣替えの間もないうちにサンタクロースがやってきました。

そしてジングルベルの曲に乗って、今年は選挙カーが街中を走ります。

私たち大人にとってはせわしい12月を迎えます。でも、子どもにとっては、12月は、「夢世界」です。

冬は、空から夢が降る。

寒い夜空に、子どもの夢が舞う。

ホカホカ毛布にくるまれて、

「いい子になるからかなえてね。」

冬の夜空は、

子どものおねがいごとで輝きます。

12月になると、幼稚園は、子どもの歌声に包まれます。

保育室ではクリスマスツリーが飾られた窓辺で、子どもたちの心は、

先生が読み聞かせる絵本の世界に誘われます。

ノンちゃんが 氷川様のモミジの木に登って ひょうたん池に落ちる。

空に落っこちたのである。

落っこちた空は ふわふわの雲で埋まっている。

ノンちゃんは その中を泳いで、

髭のおじいさんの手につかまって救われる。

雛飾りの高砂のじじばばの じじにそっくりである。

テニスラケットのような雲靴を履いている。

そこへあくたれ坊主の長吉が やってくる。

あさってから 二年生クラスの級長になる予定の

ノンちゃんはここで負けてはいけないと ‥。

(石井桃子「ノンちゃん雲にのる」)抜粋

もみじの木から落ちたノンちゃんは、ひげ爺さんに救われます。

ホッとする間もなく悪たれ坊主が登場します。

ファンタジーの世界には、救う神もあれば、いじめっ子も必要なのです。

子どもたちの脳は、おはなしでいっぱいなんでしょうね。

子どもの脳は、現実と夢が交差しながら、絡み合ってひろがります。

ですから、自分で経験した現実の世界とお母さんが読み聞かせてくれた絵本の世界が、

いろいろと交じり合って、ふわふわとした夢世界に戯れるのでしょうね。

子どもは、今、生活している世界を、時には、物語の作者になって、

演出家になって、また夢世界の主人公になって、お話し遊びが始まるのでしょう。

私たちが見る夢世界でも、現実と夢世界がごっちゃになって、しばらくは目が覚めてから陶然とする、

そんな経験はありませんか。

65歳を過ぎた頃から、私は、自分の子どもの時代の夢をみたり、思い出したりします。

小学校の頃の校舎の間取りの隅々まで繊細に記憶にとどめたりします。

神社の境内でセミのアナを捜してがけから落ちそうになって、母親が助けてくれる夢、

魚屋の三男坊に登校の途中、待ち伏せされて、こずかれているところに隣家の六年生の

かっチャンが助けてくれる夢を見たりします。

社会人になってから、幼い頃のことで、記憶に無いことを夢に見て母親に話したら、

「あらそれはほんとうにあったはなしよ。」と云われことがあります。

また、中学生の頃に読んだ兼好法師の「つれづれ草」にも、書かれていますが、目の前の現実が、

むかしどこかで体験したことがあって、これから起きることが想像できるような気がする錯覚を最近、経験

しました。夢中で遊んだ体験や満たされなかった憧れが、心の奥底にすり込まれているのでしょうか。

日本の民話やおとぎ話、グリム童話やアンデルセンの世界は、ドキドキするような怖い世界でもあり、

残酷な世界でもあります。子どもは、怖がったり泣いたりしますが、本当は、そっと恐ろしい世界を覗いて

みたいのかもしれません。谷底に突き落とされるような怖い夢を見て、ハットして夢から覚めた時、

側にお母さんやお父さんがいてくれる現実の世界にホットするのでしょう。

その度に両親への信頼感を深めるのでしょうね。

お茶の水幼稚園の園長を務めた外山滋比古さんは、90歳を超えましたが、至って健在です。

呆けない秘訣は、役に立たない知識を脳から洗い落して、脳を空っぽにすることだそうです。

朝新鮮な日を浴び空気を吸い込むためにウオーキングをしながら、あれこれ考えながら思考能力を鍛えるそ

うです。コンピューターが普及した時代、知識を捨て考えるちからを育てる学習を幼児期から習慣化するこ

とが大切です。

「考える子ども、子どもらしい子ども」は、

空想し想像力する子ども、

ドロンコになって夢中で遊ぶ子ども、

冒険心にあふれる子ども、

好奇心を持ち意欲に満ちあふれる子ども、

ドキドキする世界を楽しむ子ども、

チョッピリいたずらをしてクスクスする子ども・・・でもあります。

子どもの時しか経験できないことってたくさんあるはずです。

大人が許されても子どもがしてはいけないこともあるはずです。

子どもだからこそ、許されないこともあります。

型の中に閉じこもって、理屈や規則で自分を正当付けることは、「子どもらしくない」とよくいいますね。

例え正しくても子どもらしくないのかもしれません。

昔のことで恐縮ですが、テレビにすてきな布製のカバーをかけていたころをご存知ですか。

限られた番組を指先でチャンネルをカチャカチャまわしていた時代です。

あの頃は、6人家族で二間が平均、寝る部屋も食べる部屋も兼用で家族が丸くなって生活した時代です。

家族間で会話があって、人の気配で「気配」で家族のそれぞれの思いが察せられた時代です。

テレビが普及して、家族全員がテレビの映像を共有するようになってから大人も子どもも同じイメージを

描くようになって、それが主たる原因で「子どもらしさ」を失われたと社会問題になったこともありました

ね。テレビと日清のインスタントラーメンと冷蔵庫は、新しい文化を生みました。

そして現在は、携帯電話、スマートフォーン、パソコン、コンビニ、通販…べんりになりましたね。

同時に、家族が、独り一部屋テレビ付きで食事もばらばら、隣室からメールの会話、

チンすれば食事ができる便利な時代になりましたね。

「子どもは子どもらしく」よりも『人間はより人間らしく」生きる原っぱ教育が必要になりました。

11月26日、朝から冷たい北風とべったり張り付くような雨、

「はっぱがおちて きが さむそうだね」雨とひと息で曇った窓ガラスを通して園庭を除いていた

5歳になったエミちゃんの一言。

この時期は、北風が吹いて背を丸めて小走りする季節です。

そして、12月クリスマス・ホームコンサートがはじまります。

「サンタクロースって、6歳になってもきますか?」

年長松組の3人のお嬢さんが私の部屋に訪ねてきました。

サンタクロースは、お願いをする子どもがいたら、どこへでもやってくるんだよ。せんせいは75歳。

おねがいしたから、きっときてくれるとしんじてまってます。」

「よかったね」と3人は、うれしそうでした。

子どもってステキですね。