12月号 ♣ 子どもはより子どもらしく♣
2015年11月18日
子どもはより子どもらしく
育ち盛りの子どもと生活をしていると、「あっ」という間に時間が走ります。小鳥たちのために枝先に残した秋の実も残り少なく自然界もそろそろ冬支度です。そして、私たち大人にとってはせわしい十二月を迎えます。
でも、子どもにとっては、十二月は、「夢世界」です。
冬は、空から夢が降る。
寒い夜空に、夢が舞う。
ホカホカ毛布にくるまれて、
「おねがいごとをかなえてね。」
外は冷たい風、でも、温もりのあるお部屋で、子どもたちの心は、先生が読み聞かせる絵本の世界に誘われます。
ノンちゃんが 氷川様のモミジの木に登って ひょうたん池に落ちる。
空に落っこちたのである。
落っこちた空は ふわふわの雲で埋まっている。
ノンちゃんは その中を泳いで、
髭のおじいさんの手につかまって救われる。
(石井桃子「ノンちゃん雲にのる」)抜粋
もみじの木から落ちたノンちゃんは、ひげ爺さんに救われます。ホッとする間もなく悪たれ坊主が登場します。
ファンタジーの世界には、救う神もあれば、いじめっ子も必要なのです。
子どもの脳は、現実と夢が交差しながら、絡み合ってひろがります。
ですから、自分で経験した現実の世界とお母さんが読み聞かせてくれた絵本の世界が、いろいろと交じり合って、ふわふわとした夢世界に戯れるのでしょうね。子どもは、日々の生活の現実を、時には、物語の作者になって、演出家になって、また夢世界の主人公になって、嘘(空想)と現実のお話し遊びが始まるのでしょうね。
最近、私は、夢をたくさん見ます。目がさめても覚えている夢もあれば、瞬間忘れてしまう夢もあります。まるで、三谷さんが描く「有頂天ホテル」の映画のような楽しい人間模様の夢を楽しんでいます。
日本の民話やおとぎ話、グリム童話やアンデルセンの世界は、ドキドキするような怖い世界でもあり、残酷な世界でもあります。子どもは、怖がったり泣いたりしますが、本当は、そっと恐ろしい世界を覗いてみたいのかもしれません。
お茶の水幼稚園の園長を務めた外山滋比古さんは、九十歳を過ぎましたが、至って健在です。呆けない秘訣は、役に立たない知識を脳から洗い落して、脳を空っぽにすることだそうです。朝新鮮な日を浴び空気を吸い込むためにウオーキングをしながら、あれこれ考えながら思考能力を鍛えるそうです。コンピューターが普及した時代、余分の知識を捨てて、考える力を育てる学習を幼児期から習慣化することが大切です。
健伸幼稚園の教育課程「子どもは子どもらしく」は、
考える子ども、夢見る子ども、
空想し想像力する子ども、
ドロンコになって夢中で遊ぶ子ども、
冒険心にあふれる子ども、
好奇心を持ち意欲に満ちあふれる子ども、
ドキドキする世界を楽しむ子ども、チョッピリいたずらをしてクスクスする子ども・・・でもあります。
子どもの時しか経験できないことってたくさんあるはずです。
大人が許されても子どもがしてはいけないこともあるはずです。
子どもだからこそ、許されないこともあります。
型の中に閉じこもって、大人っぽい理屈や言い分で自分を正当付ける子どもを「子どもらしくない」と叱ったりしますね。
私は、幼稚園のスタッフや学生に、子どもの教育は、「型から入るな」
と注意します。子どもの心は夢と現実が風船のようにふくらんだり縮んだりします。大人の規範で子どもを型にはめると大人に都合の良い子に育てられる心配があります。
イタリアのレッジョエミリアの子どもたちの絵や感性豊かな育ちが世界中で注目されています。
主宰者であるモレモティーは、「大人の規範に拘束されていない子どもの世界の素晴らしさかを世界中に知ってもらいたい。」と訴えています。
テレビが普及して、家族全員がテレビの映像を共有するようになってから大人も子どもも同じイメージを描くようになったこともあって、「子どもらしさ」が、失われたと社会問題になったこともありましたね。
テレビとインスタントラーメンと冷蔵庫は、昭和の文化革命。 そして、携帯電話、スマートフォーン、パソコン、コンビニ、ネット通販は平成の文化革命・・・確かに便利になりましたね。
しかし、独り一部屋テレビ付きで食事もばらばら、隣室からメールの会話、チンすれば食事ができる便利さが、人間らしさを失いかねません。
「子どもは子どもらしく」はもちろん、「人間はより人間らしく」生きる原風景の原っぱ教育が必要になりました。
「サンタクロースって、六歳になってもきますか?」年長組の三人のお嬢さんが私の部屋に訪ねてきました。
サンタクロースは、お願いをする人には、どこへでもやってくるんだよ。せんせいは、70歳を過ぎてるので、心の幸せのプレゼントをおねがいしようかな。」との返事に「よかったね」と三人は、うれしそうでした。
子どもってステキですね。