2016年1月号 ♣土やわらかく2016年の春をまつ♣

2016年01月06日

理事長コラム

土やわらかく 2016年の春をまつ

お正月3か日は、お餅やおせち料理などの保存食を用意して、主婦も台所から解放されて、日本中がゆったりと新年を楽しむ習慣があったのでしょう。

最近は、お正月のほうが忙しい職業の方が増えています。

それでもお正月は、ホットする特有の雰囲気がありますね。書物で想像する江戸時代のお正月は、大人の生活が子どもの生活に似て、ゆったりとして、賑やかだったようです。

タイムカプセルで、もしトラバーユできるなら、隠居生活は江戸時代、青年期なら明治維新に生きてみたいと夢見ています。

私の愛読書は3冊、小学校四年生の時に出会った徳冨蘆花の「思いでの記」、司馬遼太郎の『坂の上の雲」。

そして、子どもたちに読み聞かせる「齋藤隆介の「半日村」です。

私が、「坂の上の雲」に出会ったのが、昭和1969年、東京都の八王子の子ども村の村長として幼児教育に夢を描いていた頃です。

ロシア、アメリカ、フランス、中国、モンゴル・・・を舞台に新興国日本の若者が躍動する壮大なスケールに感動しました。

江戸時代の士農工商の身分制度から解放された新しい明治維新に生きた若者は、握り飯と梅干を片手に、明治という可能性に向けて、坂を駆け登っていったのでしょう。

飽食ゆえに、活力を迫力を失いかけている現代人の虚弱さ、何とも皮肉な現象ですね。

私たちの生活は、豊になったものの、反面、じっくり腰を据えて物事に取り組む余裕がなくなってきています。

せめて、お正月の3日は、足を止めて、炬燵を囲んでお雑煮にみかんで家族で新しき年への夢を語り合う時間があるといいですね。

多忙の『忙』とは、心を亡くすと書きます。カラーテレビが普及した時代からこの40年あまり、私たちは「多忙」を生きがいの価値観として評価してきました。

もしかしたら、その分だけ「心」を亡くしてきたのではないでしょうか。

ご近所とか親しい方との心のこもった人間的ふれあいの余裕もきわめて少なくなりました。町内会も子ども会も縁が薄くなりましたね。

「思いやり」とか「親切」とか、人間相互の心の「ふれあい」は、時間におわれる多忙さの中では、なかなか育つものではありませんね。

駅で困っている方を見かけても、立ち止まり、声をかけることにためらいを感じたりします。

時間ではなく関わり合う事のわずらわしさがよぎるのでしょうか、見て見ぬふりをして急いで立ち去って悔いることがあります。

私たち大人が時間に追われていると、ともすると、子どもの心を理解する「間」がとれず、

子どもへの指示が多くなり、その苛立ちから叱ってしまうことって、ありますよね。

そんな時の子どもの心は、どんなじょうたいなんでしょう。きっと、しぼんでしおれてしまってんでしょうね。

12月のファミリーコンサート、ステージに立った子どもたちの笑顔がとても素敵でしたね。

教育成果を重視して子どもをトレーニングした発表会ではけっして見られない輝きでした。

子どもの願いを夢を大切にしたハッピーステージだったからだと信じています。

例え幼児教育でも、子どもにとって、「親や教師が、邪鬼のような存在で厳しい指導をすることも時には大切です。

でももっと大切なことは、子どもの夢を聴き、夢を一緒にかなえてくれるドラエモンのような教育です。

藤田真一さんの『脳と心をさぐる』の本にこんなことが書かれていました。

『「聞いてほしい」「知ってほしい」「わかってほしい」という悲鳴が聞こえてくる。

世界中の文明都市が、まるで原子爆弾が炸裂したように、人々が忙しく走り回り、右往左往し、人間の人格と相互の人間関係が砂粒のように粉々になってしまう。

おたがいの前に立ち止まって、相手のために自分の時間をつかうこと、そういう暮しをめざすこと、そこから始める以外にない。』

つらい汚いことを避け、面倒なことは指示して人にやらせたりする「手抜き」によって得た余裕は、本当の余裕ではないはずです。

忙しく働くことで得た豊かさでは、人間は決して幸せにならないと思います。真の幸せとは、一人ひとりの心の中にあると思います。

豊かになった環境で育つ日本の子どもたちに、飢餓に苦しむ難民の子ども達への支援する私たち大人の姿を見せてあげたい。

「幸せは分かち合うことから生まれる」他人の不幸のために立ち止まって心を分かちあえる心の余裕を取り戻すことから始めてみたいと思います。

幼き時に見る夢に、いつの日にか出合う時がある」

「出雲の市長を務めた岩国さんの言葉です。母と子の家庭で育った岩国さんは、野良仕事をするお母さんに、あの役所の村長になってお母さんを幸せにしてあげることを誓ったそうです。

アメリカの大きな証券会社の副社長を勤めた岩国さんは、お母さんと約束したように故郷の出雲に戻り市長になりました。

子どもが「志をたてる」ことは良いことです。かっての歪んだ学校教育の反動でしょうか「志」と言う言葉自体が否定されてしまいました。

志は、夢を実現する力です。

お父さんの「どきどきした体験」、お母さんの「幼いときの夢」、「お父さんとお母さんの出会い」お正月のこと」をミカンを食べながら子どもと語り合ってみてください。

「東武野田線のうんてんしゅになりたい。」「どうして?」「お仕事で遅く帰るお父さんをのせてあげたいから。」

子どもの夢は、フェアリーな世界と現実の世界が交差して楽しいですね。

子どもと接していると、心が膨らんで、気持ちいが元気になります。

「いっぱい 生きてきた先生の魔法の知恵をプレゼントするから、みんなの元気な手と握手しよう。」のが私の日課です。

末筆になりますが、母の会を始め、保護者ご家庭の温かいご支援に感謝申し上げます。

輝ける新年をお迎えください。